村上春樹・カタルーニャ国際賞での受賞スピーチ

ファンからのキス。震災。地球の自転時間に影響を与えるほど。津波の大きさ。

桜、蛍、紅葉。ほんのわずかの時間にその美しさを失うはかなさ。日本人の精神性。自然災害からの影響かどうか。復興に関しては心配していない。倫理、規範の修復は容易ではない。原子力発電所のことだ。原発の周りではもう戻れない場所が出来てしまうかもしれないし、近隣諸国にも影響を与えてしまうかもしれない。原因は……これまでも津波はあったが、営利企業はそのために大金を投じてこれなかったからだ。政府も推進のため安全基準をゆるくしてきた。腹を立てない日本人も今回ばかりは腹を立てるだろう。一方、そうした歪んだ構造を赦し・黙認してきた自分たちをも糾弾しなくてはならないだろう。倫理や規範に関わるからだ。日本人は核爆弾を投下された国民である。20万人が被爆で亡くなり、その後、生き残った多くが、放射能被爆の症状に苦しみ乍ら時間をかけて亡くなった。核爆弾の破壊性と放射能が人間に深い傷を残すことをそうした人々の犠牲の上に学んだ。広島の原爆死没者慰霊碑にはこう書いてある。「安らかに眠って下さい。過ちは二度と繰り返しませんから」。私たちは被害者であると同時に加害者であることをそれは意味している。

核という圧倒的な力の脅威の前では、全員が犠牲者であり、力を引き出し防げなかったという点で全員が加害者である。福島原発事故は我々日本人が歴史上、体験する2度目の大きな核の被害である。しかし今回は爆弾を落とされたわけではなく、自分たちでお膳立てし、自らの手で過ちを犯し、自らの国土を汚し、自らの生活を破壊しているのだ。

日本人の核への拒否感はどこに行き、平和で豊かな社会は何によって損なわれて歪められたか。答えは簡単だ。効率である。原子炉は効率の良い、つまり利益のあがる発電システムである。日本政府は原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力政策を推し進めて来た。電力会社は膨大な宣伝費でメディアを買収し、原子力発電は安全だという幻想を国民に植えつけて来た。今や日本の電気の30%が原子力発電により、地震が多い混み合った日本は世界で3番目に原子炉の多い国なっていた。まずは既成事実が作られ、危惧を抱くと「夏にエアコンを使わなくても良いのか」と言われ、「非現実的な夢想家」というレッテルを貼られる。

しかし、安全で効率的だったはずの原子炉は、今、地獄の蓋を開けたような惨状だ。推進者が言う「現実を見なさい」という現実とは、ただの表面的な「便宜」にすぎなかった。それを現実という言葉にすり替えて来た。それは技術力神話の崩壊でもあり、すり替えを赦してきた我々の倫理と規範の敗北でもある。

「安らかに眠って下さい。過ちは二度と繰り返しませんから」。この言葉を私たちはもう一度心に刻まなければならない。

オッペンハイマー博士は原爆の開発の中心的人物だが、それが広島・長崎に与えた惨状を知り、トルーマン大統領に「私の両手は血にまみれています」と言った。トルーマンは綺麗に折り畳まれた白いハンカチを出し「これで拭き給え」と答えた。しかし、それだけの血を拭える清潔なハンカチはこの世界のどこを探してもない。

日本人は核にNOを叫び続けるべきだった。それが僕の個人的な意見だ。私たちは技術力を総動員し、叡智を結集し、社会資本をつぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を国家レベルで追求すべきだった。それは広島・長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する私たちの集合的責任の取りかたとなったはずだ。我々日本人が世界に真に貢献できる大きな機会となったはずだ。しかし急速な経済発展の途上で、効率という安易な基準に流され、その大事な道筋を私たちは見失ってしまった。

壊れた道路や建物を再建するのは、専門の技術者の仕事だが、損なわれた倫理や規範の再生を試みる時、それは私たち全員の仕事になる。それは素朴で黙々とした忍耐力が必要な作業になるはずだ。晴れた春の朝、一つの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くようにみんなが力を合わせてその作業をしなければならない。

その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずだ。我々は新しい倫理や規範と新しい言葉を連結させねばならない。そして新しい活き活きとした物語をめばえさせ立ち上げなければならない。
それは私たち全員が共有できる物語であるはずだ。畑の種蒔きのように、人を励ます律動を持つものであるはずだ。


最初に述べたように、我々は無常という移ろいゆく儚い世界に生きている。大きな自然の力の前では人は無力だ。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアの1つになっている。しかし、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお活き活きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずだ。

僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、賞をもらえたことは、僕に取って大きな誇りだ。住んでいる場所も話す言葉も、よって立つ文化も異なる。しかし我々は同じ問題を背負い、同じ喜びや悲しみを抱く、同じ世界市民同士でもある。だからこそ日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、手に取られている。僕はそのように同じ1つの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思う。夢を見ることは小説家の仕事だが、小説家にとってより大切なのは人々とその夢を分かち合うことだ。そのような分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできない。

カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遇い乍らも、力強く生き続け、独自の言語と文化を守ってきたことを僕は知っている。私たちの間には、分かち合えることが数多くあるはずだ。日本で、このカタルーニャで、私たちが等しく「非現実的な夢想家」となることができたら、そしてこの世界に共通した新しい価値観を打ち立てていくことができたら素晴らしいと思う。それこそが近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、ヒューマニテイの再生への出発点になるのではないかと、僕は考える。私たちは夢を見ることを恐れてはならない。理想を抱くことを恐れてはならない。そして我々の足取りを、「便宜」や「効率」という名前を持つ最悪のの犬たちに追いつかせてはならない。私たちは力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」になるのだ。

最後になるが、今回の賞金は全額、地震の被害と原子力発電所事故の被害に遇った人々に義援金として寄付したい。こうした機会を与えてくれたカタルーニャの人に感謝したい。そして、ロルカ地震で犠牲になった人々に、1人の日本人として哀悼の意を評したい。Moltes gràcies! (どうもありがとう)