死ぬ=生きるの間にある悲劇

私は、3月12日以降、ことさら「ぶらぶら病」に関して広報して来ました。youtubeに動画を作ってアップロードしたり、理解のある友人に言ったりという程度で細々としたものですが。

けれど、どうしても伝わらない。

先日、友人に言われました。「ぶらぶら病なんて、みんな知ってますよ。知ってても避難できないんです。仕方ないんです」と。

友人の言ったことの大意は判るのですが、やっぱり「知らないんだ」と絶望するしかありませんでした。

つまり、現在、多くの人が、「どうせ死ぬ」とか、「死にたくないから」とか、死=生という両極端でしか考えられていないのですが、この点をもっと深く掘り下げても良いのではないかと思います。これでは反原発も進みにくいですし、不幸にして障害が出てしまった方への理解もできないでしょう。

どういうことでしょうか?

これは中々、上手く書けないのですが、私の言ってることを理解するため、どうか想像力をもって考えて見て下さい。

例えば、「死産(実際には奇形児出産)」を1回するだけで、人の人生はめちゃくちゃになったり、家庭が崩壊してしまったりします。ハンフォードの放射能汚染地域の動画では、奇形児を産んで自殺してしまった奥さんと、もうそこにはいらずに引っ越した家族のことが語られています。それだけではないでしょうが産んだ子供が放射能のせいで奇形だった、ということの苦しみは、女の人だったら気を失いそうになるくらい大変だと言うことが判るでしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=IWYENXGN2eY

例えば、小出裕章さんも3人のお子さんがいて、そのうちの1人を小さい時に亡くしてしまったらしいですね。こういう体験を話す時、みな、同じ顔をします。あの沁みついた暗い表情の向こう側にある、その人の痛みと長い長い時間。こうしたことを想像できるかどうかが、今後の日本では必要になるのではないかと、私は思います。

普通のガンなら、手術して5年間くらい警戒すれば良い。つまり5年くらいで病気を克服し、乗り切ることができます。

放射能健康被害は、いつ身体のあちこちにガンが出たり、または、ガンの手術後も風邪が治りにくい、すぐに疲れるなど、症状がずっと続く場合も多く、また、ぶらぶら病になってしまうと、起きあがることもできない。

そんな家族が1人いたら、その家庭はどうなってしまうか。それは、家族、全員の問題となり、それまで計画していた人生設計をリセットしてやり直す必要が出てくるでしょう。

そうなったのが、家族を経済的に支える父親だったら? 家庭を内側から守る母親だったら? それとも、未来を背負っていく子供だったら? 誰がそうなっても、その家庭に取っての大問題です。

独身の人でも、結局は生きている限り、周りの人に頼り、迷惑をかけながらでないと生きていけなくなるわけです。

どうやって明るく生きていこうとしても、放射能による障害は、その人や周りに暗くつきまとい、沁みついたような暗さを刻みつけるでしょう。

不謹慎な言い方をすれば、独身の人で、放射能ですっぱり死んだなら、そっちの方がまだ倖福なのかも知れないと思いたくなるような、そんな苦しい生涯を、原爆症の人々は過ごして来たようです。

過去に起こったことと同じことが大規模に起ころうとしています。現時点でいくつか言えることがあります。

そのうちの1つですが、「もしそうなったら、家族のためにお金も時間も割ける。でも、そうなることを避けるために、お金や時間をかけて、住居と仕事を変えて引っ越す(避難する)ことは、殆どの人ができない」ということです。

お金も時間もかけられない、というけれど、それは「事前にはできない」が、「事後にはできる=やるしかない」のです。

もちろん、残るのも1つの選択です。しかし、残る人たちが、原爆症の方々の不幸を知り、自分たちの身にどのようなリスクがあるのか知った上で残ることを厳密に選択するのなら良いのですが、現在、とてもそのようには見えないのです。

死ぬことと生きることの間にある悲劇をみなが知ること。知った上でどうするかの判断はそれぞれだと思いますが、多くの人が知るようになってほしい。

中々、伝わる書き方ができません。以前の記事でも書きましたが、どうも肝心な点が書けていないような気がしています。 引き続き考えてみます。

●関連記事・放射能=「どうせガンで死ぬだけじゃん」の誤り
http://d.hatena.ne.jp/genpatsu_mov/20110514