総てが間違っている。だから、総てが正しい。

今回は、ブツブツとつぶやきます。興味なかったら、どうか「するっ」と無視して、次回、もっとマシな情報をお届けするので、その時はまた宜しくお願いします。


小出裕章さんが昔言いました。「日本人の大人は放射能汚染された野菜を食べる義務があると思う」。
例えば、チェルノブイリ原発事故の時、日本はヨーロッパ産の食品の輸入に対して、放射能汚染の基準値を下げたらしいですね。

そんな時、小出裕章さんは、自分は以前からヨーロッパ産のチーズを食べていたから、同じように食べた。ただし、子供には食べさせなかった。或いは、生協に「ウチでは放射能汚染の食品は販売しません」のような張り紙があったのにかみついて、ウチの子には、放射能入りの食べ物を食べさせる、と言ったとも伝え訊きます。(実際に子供に食べさせたかは不明です。善意のつもりの生協に食いついたことが重要だと思われました。)

理由は一つ。日本が食べなかった食品は、結局は、貧しい国の人が食べる。しかし、世界の中でも原発依存の高い日本こそ、チェルノブイリで汚染された食品を積極的に食べる義務がある、と。

小出裕章さんらしい、筋の通った立派な考えだと思います。

そもそも、私が野菜の汚染を心配している間にも、福島第一原発では、作業員が被曝をしながら作業を続けています。彼らのことを考えれば、汚染された野菜をえり好みしている場合なのか、とも。


■しかし食べない親も正しいのではないか
しかし一方で、汚染された食べ物を避ける親も間違っているかと言われると、言い切れません。何故なら、低線量放射線内部被曝が原因で、ぶらぶら病にでもなって、仕事ができなくなり、家族を養えなくなる、家族に負担をかける身になったらどうするのか。

「だから防護するのだ」と言う人が間違っているとは、私にはどうしても思えません。

原発事故は、正解のない禅問答を突きつけて来るようです。いつも戸惑い、ハッキリと言葉を結べません。


■自分がアップロードした動画
私は、多くの人に見てもらうために、例えば、班目春樹氏の動画を紹介しました。
http://d.hatena.ne.jp/genpatsu_mov/20110424

特に強調しませんでしたが、実は、私が最も伝えたかったのは、班目氏の最後の発言、放射性廃棄物の処分地の問題で、立ち退かない人に例えば10倍お金を出せば、結局は住民は納得するんだと、班目氏が言っている部分です。

つまり、「原発や処分候補地のみなさん、10倍のお金を出されても、どうか納得しない冷静さを持って下さい」と、そんなことを伝えたいわけです。

そんな願いを籠めて動画をアップしたのでした。そのためにも、前半はなるべく話題になるように面白おかしく編集しているわけです。

それに関して、友人から批判されました。「これは、2005年の発言であり、あとだしジャンケンということもそうであるが、何より、当時の自分たちの気分を考えれば、自分たちこそが班目春樹氏だった」と。つまり、自分たちが当時の班目春樹氏と同様の立場にいたにも拘わらず、その自己批判をスルーして安全な場所から班目氏を批判する態度がとてもイヤだったと。

私の倫理観からすると、それは尤もな意見でもあり、もし自分が見る立場だったら、似たようなことを考えるかも知れません。

しかし、見る人が批判してくれた友人のような人ばかりだったら私も安心(?)してもう少し違う動画をアップロードできるのですが、結果として、当動画は、アップロードから1週間で6000アクセスを越えて、ウナギ登りにアクセスが増えています。私がyoutubeにアップロードした中で、最も急激にアクセスがのびている動画です。

私は、アクセスして貰うために、イロイロな細かいことに目をつぶりました。


■配慮のないテロップ
もう一つの動画、アメリカの湾岸戦争症候群の帰還兵を紹介した動画でのテロップも配慮がないと自分でも思いつつ、仕上げたものです。少なくとも日本被団協の人には見せたくない。
http://d.hatena.ne.jp/genpatsu_mov/20110429

もし、見た人が、湾岸戦争症候群や広島・長崎の被爆者を家族に持っていたり、あるいは自分がそうだったりした場合、これを見て「なんと知ったようなことを言う、イヤな動画だろう」と感じるかも知れません。

例えば、被爆者たちは、常に病気の発症を恐れながら暮らして来て、今も苦しんでいるとします。それは事実だ。しかし、どんな状況でも、そういう苦しい側面もありつつ、同時に人生を楽しんでいる側面もきっとあるはずで、人を理解するというのは、暗い・苦しい一面だけを取り上げるのではなく、総合的に捉えてこそなんだという気がします。

肥田舜太郎さんを追っている友人に金子サトシさんというドキュメンタリー映画作家がいますが、そこを彼は判っている。だからこそ、彼の作品は何かをハッキリと伝える体裁にならず、アピールに欠けているように見られがちです。

金子サトシさんの方法に触れると、被爆者の辛い面だけをアピールしている動画は、プロパガンダ以外の何物でもなく、それを効果的にすればするほど、実態、というか、被写体一人一人の持つリアルなメンタリティから離れていくのではないか、とも思います。


■回答のないこと。そこで立ち止まる。
多分、私は、批判してくれた友人より、ずっと他人(見る人)を信頼していないのでしょう。

私は、映像には、深く細密に理解する瞬間が訪れることを知っています。作り手や発信者と時空を越えてつながってしまう瞬間がある。その快楽というか、「自分の中に何かが起こった」その瞬間を迎えたいために作品を見ますし、作品を作ります。

けれど一方で、少々の細かいことは置いておき、グワッと、大勢と何かを共有する、そんなことも必要な時があるのではないか。そうも思うのです。

例えば、日本とアメリカでぶらぶら病と共通する症状に苦しむ人がいる。たったそれだけをシンプルに伝えたい。細かいニュアンスはすっ飛ばしてもいいから、まずはできるだけ多くの人とそれを共有したい。そして、その背後に、無数の具体的な人がいて、泣いたり、笑ったり、苦しんだり、楽しんだりしながら生きている。そういうのは、興味を持った人があとから知れば良いと、そんな風に割り切ったところが私にはあります。

そして、私の動画を批判した友人にしても、私を批判するのは簡単なはずです。では、彼はその違和感を他人にどう伝え、どう行動するのか。そこには無限の選択肢があり、正解のない禅問答があるばかりかも知れません。

何かの行動をするには、立場を選択する必要がほぼ生じます。立場を曖昧にしたまま伝える方法もなくはないですが、立場を明確にせずに、他人に何かを上手く伝えることは難しいです。

そこを原発問題は私たちに突きつけて来ます。どのような立場を取るのか、どのような立場をも全く取らないのか。そこで私は立ち止まります。だって他にどうすれば。


肥田舜太郎さんのパワー
私が原発問題のカリスマだと思っているのは、肥田舜太郎さんです。
http://d.hatena.ne.jp/genpatsu_mov/22001210

彼には、細かいことはいい、ともかくこれを訊いてくれ、という迫力がある。
そして、訊いていると説得されてしまう確かさがある。
http://www.youtube.com/watch?v=3p73GY19ZrY
(私がアップロードした動画ではありません。)

肥田舜太郎医師は、人を何かの立場に連れて行こうとはしない。自分のしていることへの確信があるからなのでしょうか、全く揺らがず、全く動じず、何年もいつも、同じ体験の話を繰り返し繰り返し、その時その時で熱くなって、訊いている人を巻き込み、影響して来ました。

私は、立ち止まっている場合ではない。その時、その時で、5分前と矛盾する二枚舌を使っても、どんな方法を使っても、原発、というか、放射能健康被害に関し、未だ知られていないと思われることを伝えたい。

そして、こんな弁証法的な言葉で遊んでいる間にも、もんじゅは事故から復旧して再稼働を検討しはじめるかも知れませんし、中国電力は田ノ浦を埋め立ててしまうかも知れません。

プロパガンダにはどこかにウソが入ります。その代わり、物事を単純に伝えられる。

自己批判するヒマがあったら、まずは一致団結して田ノ浦の自然を守る。正しい考えを持つより、何かを成す実効的な行動が必要なことがあり、その為には、自分のコダワリを棄てる必要な局面もあるのではないか。

きっと私はまたプロパガンダの動画を作るでしょう。それとは全く違うスタンスから肥田舜太郎さんの動画の続きを作るでしょう。自分が作っている動画への戸惑いと違和感の中で。

こんな長文に付き合って戴きありがとうございます。最後に私が作った、殆どのみなさんに興味がなさそうなダンス映像にもリンクを張っておきます。
http://www.youtube.com/watch?v=i_lmAG-O-w4
http://www.youtube.com/watch?v=eoNTmyAcgFA
http://www.youtube.com/watch?v=8PsPNnElhx8
http://www.youtube.com/watch?v=UrHBJE1_am8
http://www.youtube.com/watch?v=vjXNKlOJNjg
http://www.youtube.com/watch?v=W2FImk7wXWc
http://www.youtube.com/watch?v=B3XNsf68Cmc