4/18 田口ランディさんの中立的なブログに思う

4/18「風下の村」で考えたこと
http://runday.exblog.jp/16206965/

チェルノブイリの汚染下で今も暮らす人々を静かに語る良いブログでした。
小出裕章さんの視点とも共通する部分もあります。汚染されているかも知れない
食材で作られた美味しそうな料理の写真を見て、心が動かされました。


■田口さんの心動かされるブログ記事

今も汚染された村に住み続けるサマショーロの人たちに寄り添う、
心に沁みる良い記事でした。汚染されているかも知れない食材を
使った料理は本当に美味しそうで。

田口さんの書いていることは、小出裕章さんの視点とも似ていると
感じます。

避ければ良いというものではない、人には暮らしがあるんだと
当たり前のことをつきつけられます。

また

>自分の判断で生きること。自分がどうしたいか。
>それがすべてだ。これは、生き方の問題である。

この結論は、このサイトの目指す方向でもあります。反原発方向に
力点がかかってしまっているでしょうか。注意したいと思います。

なるべく、一つ一つの情報をみなさんが自分で判断して自分の
意見を持つべき時が来ているように思います。


■2点、気になったこと

ところで、それでも気になった点が2点ありました。ひょっとすると
田口さんは、その2点すら超越したところから書いているのかも知れ
ません。だとしたら、揺るがないとても強い人だと感じます。

>人は変えられない。賛成の人を反対には変えられない。反対の人を賛成には
>変えられない。それぞれに信念がある。信念のない無責任な人、無責任であ
>ることの自覚がない無責任は、無関心よりたちが悪く、信念で対立している
>人たちの対立をより増長させることで、他者をコントロールしていると錯覚
>し快感を得ている。そのような人も変えられない。聞きかじったことを検証
>もせずに平気で吹聴する人も、匿名のにわか批評家も、不安で眠れない人も、
>楽観的な人も、思慮深い人も、すべての人は、自分らしくそのように生きて
>いるのだから、他人が変えることなど不可能。ましてや私が変えることなど、

超越しているところから書いてるっぽいよね。やはり強い人だ。私は
弱い人です。

私が「にわか批評家」になって書くのには理由があります。
私は、事故の前、1月に肥田舜太郎さんの講演を訊いたことでショックを
受けたから。 http://d.hatena.ne.jp/naibuhibaku/

肥田舜太郎さんが訴えるようなことを自由に広報し自由に
研究し、そうしたデータを元に充分な論議をするような社会になれば
良いのにと思います。京都大学小出裕章さんや今中哲二さんは、
ずっと助教(助手)です。

つまり、推進・反対に関わると、推進派は国や企業に優遇され、反対に
回ると圧力をかけられます。最初からフェアではないんですよ。せめて
フェアにならないでしょうか。そういう社会なら、田口さんの言うことには
心から同意できるのですが。

では、2点、気になったことを書きます。

○1・低線量放射線の害や原発絡みで知られていないことが多すぎる

害は通常のガンだけではないのです。低線量放射線による健康被害は、
「通常のガン」だけではありません。

ブラブラ病→病気とすら認定されていない奇病で、広島・長崎の入市被爆
などに多数見られ、核実験にさらされたり、劣化ウラン弾を使用した米兵士に
見られたり、その他、低線量放射線の汚染地域に見られたりするそうです。

晩発性ガンや多重ガン→今でも苦しんでいる大勢の広島・長崎の被爆者が
います。

こういうことがあることは、できるだけ多くの人が知ることで、
自分がその状況になった時に慌てないことはもちろん、今後、そういう人を
身近でみかけたら、いたわってあげることができるはずです。

正常に稼働している原発の周りの病院では、あまり口外できない
不自然なことが色々とあるようです。そうした闇に包まれた部分も
きちんとジャーナリズムが明らかにしていくことを期待しています。

原発行政の闇の一つ、人形峠のことは、また書きます。気になる方は、
人形峠ウラン鉱害裁判」で調べて下さい。「掘ったけど良いウランじゃ
なかったし、採算も合わないから厖大なウラン残土を放置!」です。


○2・リスクが大きすぎる

例えば、死刑を賛成・反対のような議論があります。反対にも賛成にも
訊くべきところは色々とあります。

しかし、原発推進・反対の場合は、少し話が違うような気がしています。
何故なら、あり得ないような確率だとしても、リスクは0%にならないということ。

メリットを考えてみましょう。

原発は、環境問題としても、メリットがあまりない仕組みです。原発
ウランを使えるようにするために二酸化炭素を出しますし、また、原発
70%以上の熱は発電に活かせず、そのまま海に棄てることで、環境破壊や
地球温暖化の要因の一つともなっています。

また、影響がある/なしの争点は分かれますが、正常に稼働しているだけで、
放射線を空気や海に垂れ流す仕組みです。原発の近隣では健康被害が出ているとの
報告もあります。

数少ないメリットとして経済効果などがあるのかも知れません。また、
核兵器をいつでも作れる状態にしておくことに国防という観点から必要論を
唱える人もいるようです。

しかし、どのようなメリットがあったとしても、原発は、万万が一の事故が
おきた時に、容易に日本国土や近隣諸国が汚染され、原子炉の種類によっては、
地球規模の汚染を覚悟しなくてはなりません。

そして、確率が0.001%であろうと、原発を運用し続ける限り、未来のいつかの
時点で、そういう地球規模の事故が起こってしまう確率は、なにしろ100%なのです。
(時間を無限大で計算した場合)

その巨大すぎるリスクに対して、どのようなメリットがあれば見合うのでしょうか。

田口さんのような、地に足がついた実感的な意見を読むと強く心を
動かされながらも、どうしても巨大すぎるリスクに見合うどのような
メリットがあるのかという点で、私はただただ、途方にくれてしまうのです。


■被曝労働者のことを社会的に認知し保障すべきではないか

以上の2点が気になりますが、他にも、原発を推進する人には、
どうか、被曝労働者のことを正面から見つめて、そういう人たちが
いて苦しんでいることを認識して欲しいと思います。

彼らの得た給料は、客観的に見合うものとは思えませんし、仕事を
辞めたあとの健康被害に対する保障も何もなく、場合によっては、
本人すら自覚しない間に動かない身体や多発するガンや抜ける歯など
に悩みながら、疲弊して命を落したりしているようです。

そういうものを闇に葬らず、きちんと知るべき時が来ているのでは
ないでしょうか。

そういう犠牲者がいても、原発が必要だと言う人はいるでしょう。
そういう人とは個人的には友情は結べないかも知れませんが、そういう
推進派の人も含めて、社会全体で、被曝労働者を認知し、或いは感謝し、
保障もしていくべきではないかと思うのですが。

※リンク
動画 隠された被曝労働〜日本の原発労働者 1〜3
http://www.youtube.com/watch?v=92fP58sMYus
http://www.youtube.com/watch?v=pJeiwVtRaQ8
http://www.youtube.com/watch?v=mgLUTKxItt4

『野宿労働者の原発被曝労働の実態』をテキスト化
http://san-ya.at.webry.info/201103/article_11.html

原子力発電所と被曝労働者について考える
http://blog.goo.ne.jp/kyotoposse/e/e46d96bb5e32b8fc9cb2253f67f0d7a2


■知ることは大事ではないでしょうか

知りたくない人に報せたいと思うのは独善なのかも知れません。しかし、
やはり、知るべきではないでしょうか。みんなが電気を使う明かりの向こうで、
数知れない犠牲者の悲劇と闇があることを。